大魔闘演武の少し後のお話。
暗闇にすっかり飲まれてしまった森の中で、パチパチと火花が爆ぜる音が響く。他に聞こえてくるのは、何処かで鳴く虫の声と、風が木々の葉を揺らす音ばかりだ。
指名の依頼で怪物退治にやって来ていたグレイとナツは、焚き火を挟んで倒れた大木の上に座り込んでいた。特に会話をするわけでもなく、無言のまま時間が流れていく。
地面を覆う草の上では、ハッピーがうとうとと瞼を落とし始めていた。
グレイがちらりとナツを見やると、ナツはぼんやりと炎を眺めていた。否、焦点が定まっていない様子は、眺めるとうよりも視線をそこに固定しているだけの方が正しいかもしれない。
普段は五月蝿いくらいの彼が静か過ぎることに、グレイは気味悪ささえ感じていた。
彼はあっさりと我慢の限界を突破し、完全に上の空なナツに向けて口を開いた。
「おいナツ。どうしたんだよ、ぼーっとして。気持ち悪ィな」
「…うっせ」
普段なら確実に噛みついてくるであろう台詞にも、ナツはふいと顔を背けただけだった。
「…お前、変なもんでも拾い食いしたか?」
「してねえ」
「じゃあ何だ。頭でも打ったか?」
「ちげーよ。…つか黙っててくれ」
そう言って、くるりと焚き火を背にしてしまった。
あの暑苦しいクソ炎が、静けさを要求するなどとは。
今日のナツはどうにもおかしい。
…いや、違う。
グレイは自分の思考を即座に否定した。
最近のナツは、時々遠い目をすることが多かった。
ギルドの喧騒での合間の一瞬に。テーブルに着いて寛いだ一瞬に。仕事でこの森にやって来る最中の一瞬に。
誰も気にも留めないような僅かな時間、何かを思うような、ふとした表情。
不本意ながら、幼い頃からの長い付き合いな上に、顔を合わせれば常に喧嘩三昧な関係だったので、嫌でも気付いてしまった。
そうだ。ここ暫くの間、様子がおかしかった。
一体何時から…。
―-―おそらく、大魔闘演武の後からだ。
忘れもしない、あの時の出来事。
エクリプスの扉が開き、7頭のドラゴンが未来のローグによって放たれた。魔導士達がどれだけ懸命に闘おうとも攻撃は殆ど効かず、滅竜魔法でさえも倒すことが出来なかった、あの悪夢の一時。
ウルティアが命を投げ打って時を戻していなければ、自分は今こうして生きていなかった。
あの闘いの最中、ナツの身に何かあったのだろうか。それとも、扉が開く前か。
ルーシィの救出にナツ達が向かった後、扉が破壊されるまで一度も彼らとは会っていなかった。
その間に起こったのは確かだろう。
「…何かあったのか、大魔闘演武の時に」
「…!」
ぴくりとナツの肩が揺れた。
どうやら当たりのようだ。
「…何のことだ」
「お前、大魔闘演武の後から変だぞ」
「あ?どこが」
「明らかに可笑しいだろうが。脳ミソ空っぽ野郎が考え事なんて」
「うっせーなクソ氷。オレだって考え事ぐらいするっての」
「…」
やはりナツは普段ほど噛みついて来ない。
相当重症なようだった。
グレイは溜め息を吐くと、炎の向こうに見える背中を見ながら言った。
「あの時はずっと別行動だったからな、お前に何があったかは知らねえが…」
「…」
「けどよ、オレにも言えねえようなことなのか?」
「…」
ナツの表情は見えないが、話してくれそうな気配は感じられない。
これは諦めた方が良さそうかと思い始めた時、足元から声が掛かった。
「グレイ。あんまりナツを責めないであげて」
「…いや、責めるつもりはねえけど」
いつの間にかしっかり目を覚ましていたハッピーは、ナツの方を心配そうに見遣った。
「ハッピーも知ってるんだな、大魔闘演武であったこと」
「うん。でも…」
「別に無理に聞くつもりはねーよ。気にしないでくれ」
グレイは耳をしょんぼりと項垂れたハッピーの丸い頭を撫でた。
彼に一通り撫でられた後、ハッピーは白い翼を広げ、ナツの横にふわりと降り立った。
伺うように下から顔を除きこむ。
「ナツ…」
「…悪ぃなハッピー」
「オイラ、辛かったら無理に教えなくてもいいと思うよ」
「…いや」
ナツは小さな相棒に安心させるように薄く笑むと、腰掛けていた大木からぴょんと飛び降りた。
「あーあ。グレイの奴に頭空っぽとか散々失礼なこと言われたから、気分悪くなっちまったなー」
「それは事実だろ」
「何だとこの変態パンツ!むかつくから散歩行ってくっからな!」
「おーおーとっとと行けよ」
「テメェに言われなくとも行くっての!」
いつもの調子に戻ったナツは、喧嘩腰のままその場を離れようと足を踏み出した。と、数歩で歩みを止め、ハッピーを呼び寄せる。
顔の横に浮いた青猫と小声で会話すると、ひらりと手を振り再び歩き出した。
「じゃーなー。ガキは早く寝ろよ」
「誰がガキだこの脳筋!」
「んだとぉ!?さっさと服着ろよこの露出狂が!」
「うおっ!?」
いつから脱いでいたのか、身に着けるものがパンツだけとなっていたグレイが慌てて服を着直す間に、ナツは茂みの奥へと消えた。
暗闇に黒衣が溶け込むのを見送ると、ハッピーはふよふよとグレイの元へと飛んで来た。
羽を消すと、グレイの立つ草むらに座る。
服を身に着け終えると、グレイもハッピーに習うように倒木の上に座った。
「…グレイに話すよ。大魔闘演武であったこと」
「いいのか?」
ナツがあれだけ頑なに話そうとしなかった出来事を、自分が聞いても大丈夫なのだろうか。
そう問いかける前に、ハッピーは答えた。
「ナツが、『オレじゃ上手く説明出来ないから、ハッピー頼むな』ってオイラに任せたんだ」
「説明放棄ってことかよ?」
「ナツは確かに説明は下手だけど、きっと本当は話すのが辛いんだ」
ハッピーは長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、視線を地面に落とした。
「オイラも思い出すのが凄く辛いけど…あの日起きたことは、グレイも知っていいと思うから…」
「…すまねえな。嫌になったら止めてもいいからな」
「あい!」
ハッピーは全てを話した。
ルーシィの救出に成功した後、奈落宮に落とされたこと。エクリプスを使い、未来のルーシィが渡ってきたこと。
未来のローグも彼女と同様にこの世界に来て、彼女を殺したこと。そして、400年前のドラゴンを放ったこと。
涙ながらに語られた真実に、グレイはただ驚くしかなかった。
ぐずぐずと鼻を啜る小さな背中を擦ってやりながら、先程のナツの様子を思い返す。
ナツがおかしかった原因は、きっと未来のルーシィが目の前で死んだことだろう。
ルーシィを妖精の尻尾に来てからというもの、彼は彼女にいつもべったりだった。この世界の人間ではないとはいえ、ルーシィはルーシィだ。好いていた少女の死は、とても耐え難いものに違いない。
親しい者を失う辛さは、オレだって良くわかる。
彼はナツが消えた方向を見詰め、漆黒の瞳を苦し気に細めた。
ナツが戻って来たのは翌日の朝だった。
既に朝食を食べ終わったことを知ったナツはグレイに対して喧嘩を吹っ掛け、グレイは「お前が遅えのが悪いんだろ。その辺の草でも食ってろ」と火に油を注ぐ発言をしたことでいつものように殴り合いが勃発し、結局ルーシィ達が迎えに来るまで続くこととなった。
朝食を先に食べたのも焚き付ける発言をしたのも、実はグレイが意図的に喧嘩になるように仕向けてのことだ。ナツの意識が未来のルーシィに極力行かないようにと、彼なりの気遣いだった。
もっとも、顔を合わせれば常にいがみ合う仲なので、配慮しようがしまいが結果は変わらなかったのだが。
大事なモンは離すんじゃねえぞ、ナツ。
ギルドへの帰り道、笑い合う二人を視界に収めながら、グレイはそっと溜め息を漏らした。